これは私の中でも永遠の議題の一つです。
何が愛かということです。
ここではアニメやキャラクター、ゲームなど特定の者に対する愛を愛とします。
この間グーフィーを知らないディズニー芸人がたたかれているのを見て自身の中でこの議論が再発しました。
仮定の話ですが、例えばこの芸人さんが年間200回近くディズニーに行っていた上でグーフィーを知らなかったとしても愛がない判定を受けるのでしょうか。記憶力が人より劣っていたり、情報収集能力が人より劣っていてグーフィーを知らなかったとしたら愛するには記憶力や情報収集能力がなければ愛する資格もないことになります。
また、先ほど例にあげた年間200回近くディズニーに行くことが免罪符になるのであれば金と時間があれば誰しもが愛があることになります。
さらに昨今ありがちな知識の深さや広さが必要なのであれば暗記科目のような愛になるのです。
他にも知名度の高い人以外は発信する能力が低いため愛を認められにくいのです。
他人になって言われようとも自分自身が愛していればいいというのはある意味きれいごとだと思います。正義を貫き住民を守っても住民に嫌われるヒーローにはなれるほど強くなれませんし、同じものを愛するはずの同志も世間に顕在したものが自分より劣っている点を一つも許さないのです。
もちろん私も自分の好きな分野で自分より劣っている部分が見れば自分のほうがと思いますし、好きっていう割にはとか思うのです。
つまり発信能力や暗記能力、金、時間など何かの分野に精通した人が愛する権利を手に入れられるようです。
何かを愛することを許されるようになりたいものですね。
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